パラノイア
ここ数日、空腹という概念が消滅しています。
腹が減らない。とりわけ食べたくない。なにも。
若かりし頃デフォルトがその状態だったので、不思議には思いませんが、ぶっ倒れたら困るんで必要最低限のカロリーは摂りたいところ。
ダイエットの影響というのはなく、単に面倒くさいのと、食事の時間をなにかしら制作したり、絵を描いたり、なによりも睡眠時間に充てたいという気持ちがあります。
生きてるんでそうもいかないですが、とにかく面倒くさい。
点滴かサプリだけで生きたいです。粉砕した食べ物を胃に転送するんでもいいです。
しかし前に阿片窟でぶっ倒れたときも、食欲が消滅していたので、同じことを繰り返さないようにしたいです。
まああの頃より10kg太っているし、猫もいるから倒れないけどね。猫可愛すぎるから。スマホいじってると顔触ってくるから。
「お客さんを猫と思って接する。その人は何猫かも判断する」遊びをしていたら、妄想に取り込まれて現実に戻ってこられなくなりそうだったので、やばいと思って辞めました。
どんなにツンケンした人でも、猫らしくて可愛い、と思えるメリットはあるし、店の中を騒ぎ回る子供も、子猫がチョロチョロしてるぞと微笑ましく思えるんだけど、多少幻覚が見え始めた気がしたので。本当に猫に見えてきたんで。
人間の思い込みの恐ろしさですよ。
思い込んでしまえばなんでもその通りになってるように感じてしまうんですよ。
とても素敵で夢のようです。
故に二度と戻らなくなってしまう。
よっぽどのやべぇ奴は猫とは思わないスイッチは入っているけど、よっぽどのやべぇ奴って滅多にいないですからね。
多分私、催眠術かかりやすい類の人間だと思います。
性根が人間不信みたいなところがあり、上っ面だけ人懐っこく生きているせいか、簡単に軽視できてしまう。人間不信というか、とりわけ興味が持てない。
根本的には自分だけ信じりゃいいと思ってるので、尚更思い込みの強さが加速する。
いくらでも自分がすごい人間だとも思い込めるし、逆もできる。
フライドチキンを買って手提げ袋に入れず持って帰るお客さんが、鳥を獲って誇らしげに咥えて持って帰る茶トラ猫に見えたのがハイライト。あれ、可愛い。それだけでふふふと微笑える。
若いお母さんがちっちゃい子供2人とか連れてるのを見ると、ほっそい三毛猫が子猫まとわりつかせてる様子に見えて、可愛すぎて泣きそうになります。
可愛すぎるものを見ると、涙腺が決壊する体質です。
家にリアル猫が来たばかりの頃、大変だったんだから。
ちなみにですが、お客さんは日本人が多いので、基本的に和猫です。
稀に、日本人でもアメリカンショートヘアーとか、ロシアンブルーもいる。シンガプーラやベンガルにはまだ会ってないです。
気品のあるペルシャやシャムもいた。
でも基本的には、茶トラと三毛猫が多いです。あと男女問わずキジトラ。
風格のあるオスのキジトラ(に見える人)を見ると、逞しく生きてるな!気高い!ってなります。
ちなみにですが私は、白キジトラです。
うちの猫が白キジトラなので。
おっとりした女性はサビ猫で、ハキハキした女性は三毛猫にはめられがちです。
白が入るだけで結構違いますね。
神経質そうな人は白猫、そこまで神経質ではないけども繊細そうな人は白サバトラか薄三毛。
あとはまとっている雰囲気や振る舞いで判断します。
若い頃人間嫌いを誇示していたのが、一周しておかしな感じになっちゃったね。
今は好きな人いっぱいいるので、そんな妄想に走るとは自分でも思わなかったです。
仕事中の現実逃避でもありますが、なるべく猫のことを考えていたいという強い意志の下でもあります。
猫にまつわる創作活動をしている今、デフォルメでもリアルでも、どんな猫を描くかと模索してる日々です。
ふとした瞬間に思いつくので、気が抜けません。
でも結局全て、自分ちの猫を描きたくなるんですけども。
漫画にすると勝手に自由に動き回るのが、面白いです。
それに合わせて描いてるだけです。画力が追いつきません。
猫はやっぱり自由なんだなと思います。
漫画の世界なので、メロンパンとか食べますけど。現実で食べられない分特に求めてきますけど。
子供の頃からの妄想誇大を未だに引きずるとは微塵も思いませんでした。
考えてることもやってることも、30年近く変わっていません。
というか一時はそうでもなかったんで、幼児退行してるんだと思います。
彼氏や親友たちが、猫やうさぎを飼っているためか、妄想が余計に楽しいです。
妄想の世界で生きて死ぬのが理想ですね。愉快な幻覚を見ながら死にたい。
多分一生変わらないんだと思います。